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2017.08.30

散策番外編 ケンブリッジ

8月28日(月)はバンク・ホリデー(祭日)だったので、ロンドンから北東に電車で約1時間走ってケンブリッジを訪れた。仕事の関係で、ケンブリッジ大学の教授や学生たちとは1994年から付き合いがあるものの、私自身がケンブリッジを訪れるのはこれが初めてになる。それはそうと、イギリスの祭日は、もうクリスマスを迎えるまで無い。日本のシルバー・ウィークが羨ましい。

 キングス・カレッジ・チャペル (King's College Chapel)

1209年に設立されたケンブリッジ大学は、修道院の制度を起源に持つカレッジ制の大学である。

その中でもキングス・カレッジが有名で、観光の目玉であるチャペルは、ヘンリー6世が1446年に建設を開始し、5人目の王となるヘンリー8世の時代に完成(1547年)した。

建設に1世紀が費やされたチャペルは、現代でも大学内の教会としては世界で他に類を見ない、全長88m x 幅12m x 高さ24mという大きさを誇っている。

大学の入り口(写真右上)には係員が立っており、道路を隔てた向いのお土産店で入場券を買ようにと促される。門をくぐると、一面芝生に覆われた中庭が視界に飛び込んでくる。芝生には立ち入れないので、ぐるっと回ってチャペルまで歩いて行く。

入場口から入ると、目の前には天井まで届く色鮮やかなステンドグラスに覆われた窓が広がる。長方形の空間を持つチャペルの四面全てにステンドグラスがはめ込まれ、長辺となる南北両面には1アーチ10種(+アルファ)構成の絵柄の窓が計24ある。東西両面は、18種(+アルファ)構成の大きめの窓となっている。

敷地に面して運河が流れており、観光客用のボートで賑わっていた。元々葦の生い茂る沼沢地で使われていた作業船だったため、中心に竜骨を持たない平底船(パント=Punt)になっており、後ろ側に立って川底を竿で突いて前進させる。パントを使った川遊びは(遊覧観光)は、パンティングと言って人気を博している。ちなみに、私が訪ねた27日のバンク・ホリデーは、ケム川に架かる「溜息の橋」(The Bridge of Sigh)に徒歩で近づくことはできず、パンティングを行わなければ見られなかった。私は時間の関係で断念したが、25日に見たオックスフォードの「溜息の橋」と比べたかったので残念だ。

 フィッツウィリアム博物館 (Fitzwilliam Museum)

ケンブリッジでも一番人気を誇る博物館。収蔵作品の一貫性の無さに驚くが、それもそのはず、元々はフィッツウィリアム7世子爵(Richard FitzWilliam, 7th Viscount FitzWilliam : 1745~1816)の個人コレクションで、彼の死後にケンブリッジ大学へ寄贈されたことで創設された博物館だからだ。私は同じ(?)コレクターとして非常に良く理解でき、納得できるものがある。悪く言えば支離滅裂、良く言えば盛りだくさん。収蔵作品数が膨大で、撮影した写真も膨大なため、私が気に入った展示物だけを紹介する。実は、ここの見学に時間を費やし過ぎて、パンティングに参加することができなかった。

〔考察〕 20世紀の博物館と21世紀の博物館

博物館として展示する対象には幾つかの分類がある。ざっくり言うと、「自然や環境」、「生活や文化」、「科学技術」、「芸術や嗜好品」等に関する文物に分かれる。フィッツウィリアム博物館では、古代国家の都市の一部や埋蔵品、その時代の生活用品や装飾品が一つの主な分野であり、それに加えて純粋に嗜好品(芸術品)として製作された彫像や絵画などが相当量あり、最後に中世の戦闘用具など社会とも科学ともとれる文物が少々彩を添えている。

大英博物館のギリシャ・パルテノン神殿のレリーフなどもそうだが、都市や建造物の一部だった文物は、本来はその場所にて保管され、オリジナルの状態で開示・伝承されていくべきものである。エジプトのアブ・シンベル神殿やオランダの風車などは、オリジナル状態で保存するため丸ごと移設を選択した例だ。そうでなく部分的に剥ぎ取ってくる場合、経緯の如何を問わず “略奪” (あるべき場所からの分離)したと言わざるを得ない。20世紀は人の移動が不便だったから、その方法が社会的にまかり通っただろうが、人の移動と情報の共有が手軽になった21世紀は、特定地域の特性はその地域に足を運んで堪能する方法が最善となる。「本場」「総本山」「聖地」だからこそ、時間・金・労力を使ってまで出向く価値があるのだ。

持ち運びのできる絵画や彫像はどうだろう。昔から “芸術” という名の “商品” であることは間違いなく、昔も今も “収集品” という本質は変わらない。そこで問題となるのが、材質と表現対象だ。頑丈にということで石を彫っても、先に示した収蔵品のように欠けもすれば割れもする。ブロンズや陶器ではどうか。大型の大理石や陶器の乳白色には独特の魅力があるが、如何せん造形がどうしても甘くなってしまう。造形作家の芸術性はともかく、材質で言うならば現代のレジンや型で成形したプラスチック等の方が自在で自由度が高い。結局、20世紀の博物館に収蔵されている個人コレクター用の彫像は、21世紀の庶民コレクターにとってのフィギュアと同じなのだ。対象も神話や戯曲の登場人物から、映画やアニメの登場人物に取って代わるだろう。

右上の『The Bride』(1873年)も、イタリア人彫刻家Raffaele Monti(1818-81) が1847年に大理石で薄く透明なヴェールを表現したから芸術性が高い訳で、現代のフィギュアでなら実際にクリアパーツを用いて、色彩豊かに且つ肌の質感も豊かに表現することができる。おまけに安い。なお、収蔵展示品は1873年にイングランドで複製された磁器製作品である。

私が解釈する “芸術作品”(意義や機能)は、“鑑賞者の脳にどのような刺激を与えるか” である。脳の中の、「美しさ」を感知する部分が刺激を受けて、対応する脳波の生成を促すことだと考えている(私はこれを「マニア脳」と命名)。だから、作品自体のフォーマットは関係ないのである。大理石であろうがレジンであろうが、油絵であろうがエアブラシであろうが関係ないのである。つまり芸術とは非常に私的で相対的、尚且つ鑑賞者(情報の受け手)の中で発生する現象が主体なのだ。

今我々が有難がっている博物館の所蔵作品は、“20世紀人” にとっての芸術であり、我々 “21世紀人” にとっても芸術だとは限らない。これから芸術の主役は、マニア脳を刺激する作品群へと確実に変わっていく。そう、我らが『世界モデルカー博物館』がそうではないか。だから、収蔵されている愛しいあの娘達を私は “美術工芸品=Artwork” と呼ぶのである。

 その他の街並み

ケンブリッジには他にも魅力的な施設があるが、当地で最も有名な老舗パブ「The Eagle」も名所の一つ。かのワトソン&クリック博士が議論を重ね、DNAの二重らせん構造を思いついた場所だからである(写真左:壁には記念パネルが)。

また、ロンドンからケンブリッジへ行くには、ユーストン駅を出発するのだが、そこには映画ハリーポッターで有名になったプラットフォーム 9 3/4があり、係員のいる撮影スポットになっている(写真右端最下段)。

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