Chapter 4 - Section 4
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第4章 第4節
個人の独自性が現れるほどコレクションを充実させるには、何よりも収集を継続させることが重要です。少なくともモデルカーの世界では、実寸大の自動車が100年以上にわたって次々と創造されるため、過去の名車と新型車を織り交ぜながら、延々と新製品を購入し続けねばならないからです。
既に生産が終了した過去の実車に特化してモデルカーを収集する場合、新製品がそれほど出る訳ではなく、継続は決して難しくありません。しかし、例えば特定の実車ブランドに特化してみると、過去の名車はもちろん、新型車のモデルカー発売も追い続けなくてはなりません。こうして、ゴールの見えないコレクター人生が幕を開けるのです。
Description
Group B was introduced by the FIA in 1982 as replacement for both Group 4 (modified grand touring) and Group 5 (touring prototypes). Its regulation fostered some of the quickest, most powerful and sophisticated rally cars. RS200 was the one that was produced by Ford UK in 1984 as Ford's first 4WD contender for Group B class rally racing. The chassis was designed by former F1 designer Tony Southgate with Ford's former F1 engineer John Wheeler. Power plant was mid-mounted 1.8 litre single turbocharged Ford/Cosworth BDT engine. The unique FRP body was styled by Filippo Sapino of Ghia. Unfortunately, Group B was cancelled in 1986 for safety concerns. Evolution model RS200E kept racing at the FIA European Rallycross Championship until 1992 and awarded the Guinness record title of “fastest accelerating car in the world” in 1994 held for 12 years.
作品解説
FISA(国際自動車スポーツ連盟)がWRC(世界ラリー選手権)のトップカテゴリーであるグループ4を、1981年にワークスカーが参戦しやすいグループBへと改定しました。そのためプロトタイプ・スポーツカーに近い高性能車が各社から投入されました。1984年のフォードRS200(イギリス)もそうした1台で、元F1技術者のトニー・サウスゲートとジョン・ウィーラーがシャーシを開発し、ギアのフィリッポ・サピーノが個性的なスタイリングのFRPボディを架装しました。フォード・コスワース製オールアルミ直4ターボ・エンジンをミッドに搭載し、後輪駆動と2種の4輪駆動を選択できる生粋のラリーカーです。しかし、高性能なグループB車両は事故が多発し、安全に配慮してカテゴリー自体が1986年に消滅しました。フォードRS200はWRCでは勝利に恵まれませんでしたが、より強力なエンジンを搭載した進化型(エボルーション・モデル)RS200Eが、1992年までFIA欧州ラリークロス選手権(サーキット上で行うラリー競技)などで活躍しました。RS200Eは0-60mph加速3.07秒の世界最速加速車として1994年にギネス世界記録に認定され、その座を12年間守り続けました。
Persistence Pays Off / 継続は力なり
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The car was specially made for the late Gianni Agnelli, head of Fiat at the time, as a gift.
収集を継続するということは、特定のテーマで作品を追求する強い意志と情熱を維持し続けるということです。私が初めてその重要性を強烈に認識した出来事を紹介します。
1/43精密モデルカーの収集は、ロンドン駐在時から始めました。最初に購入したのは、英国SMTS社のファクトリー・ビルト製品で、車種は主にランボルギーニです。そんな中、ある日店頭で手に取った1台の作品に驚きました。ホワイトメタルのSMTS社製品に比べ極めて軽く、細かい凹凸の造形が非常にシャープだったのです。
車種は、当時(1988年)フェラーリを傘下に収めたフィアット会長ジャンニ・アニェッリに贈るべく、ピニンファリーナが特別にデザインしたワンオフのフェラーリ・テスタロッサ・スパイダーです。これが、レジン製ファクトリービルト・モデル、そして創業間もないイタリアBBR社の作品との初めての出会いです。
大きく心は動きましたが、当時から屋根のないスパイダーに違和感があり、最終的に購入までは至りませんでした。しかし、同社1枚物の製品紹介チラシの中の、とある1台に目が釘付けになりました。私が好きなテスタロッサ風でありながら、その個性を全否定しているかのような、赤い2ドア・クーペです。そのモデルは、BBR初リリース時のケーニッヒ・コンペティションでした(後に完全新原型で再リリース)。
店主に速攻で、「これが欲しい」と取り寄せをお願いしたのですが、「BBR社のモデルはいくら注文しても、一向に入荷しない」と嘆くだけでした。当時はまだ、数量生産や流通経路などが、まだ確立できていなかったのでしょう。その後、実車情報も探してみたのですが、ロンドン随一の大型書店フォイルス(Foyles)で見つかったのは、ハードカバーの大判書籍の中に2ページ紹介されているだけでした。それも、コンペティションではなく、ケーニッヒ・スペシャルズ・ターボでした。
当時日本はバブル時代の末期で、一連のケーニッヒ・フェラーリは欧州より日本国内の方で有名だったかもしれません。“フェラーリらしからぬフェラーリ”の姿を脳裏に焼き付けたまま、各地のモデルカー専門ショップを巡りましたが、“実物”のBBRケーニッヒ・コンペティションに、お目にかかることはできませんでした。
欧州での私の居住地は、既にロンドンからオランダに移っていました。ある日、妻と息子を連れ、隣国ベルギーのアントワープへ、愛車スズキ・スイフトをブッとばして日帰り観光に出かけた時です。路地裏の小さいモデルカー専門ショップに足を踏み入れると、中央のガラス棚の上で、赤いケーニッヒ・コンペティションが私を見つめているではありませんか。
目が合った瞬間の感動は、形容しがたい大きなものでした。この時、私の「コレクター魂」が覚醒したと言っても過言ではありません。思い続ければ願いは叶う、「意志あらば道通ず」なのだと、全身全霊で納得した1日でした。以後、この言葉は私の座右の銘になりました。
ただし、このタイミングの登場には理由があります。値段を尋ねれば半額以下。そう、箱無しでサイド・ミラーが欠けたセカンド・ハンドだったのです。ボディにも小さな塗装損傷部がありましたが、だからこそ店頭に並び、私に出会えたのです。プロモデラーに傷の修復、サイド・ミラー製作、展示ケース取付けを依頼し、記念碑的1台としてコレクションに加えました。
次に求めるは、完全オリジナル美品です。日本に帰任した翌年、ヤフー・オークションが発足しました。時代が私に味方したのです。念願の美品を発見した私は直ちに出品者へ連絡し、即決価格を交渉・合意して、競うことなく早期終了してもらいました。これが、国内外で数千件に及ぶ、私のネット・オークション取引の実績第1件目、正に原点です。
数年後、名古屋の専門ショップ・ラクーンがBBR社に特注し、よりシャープな造形でケーニッヒ・コンペティションを復活させました。さらに、最後発ながら日本のメイクアップ社も参入し、複数のバージョンで素晴らしいケーニッヒ作品を世に送り出しました。結果的に作品数の豊富さは、本家テスタロッサ全3世代モデルに勝るとも劣らない充実ぶりです。
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私の欧州駐在時代、モデルカーの収集方法は専門ショップを自分の足で直接訪問するか、英国のグランプリ・モデル社が年10回発行する通販用機関誌4WS(フォー・スモール・ホィールズ)を定期購読して注文するかに限られていました。
ケーニッヒ・コンペティションの進化版、コンペティションⅡ・エヴォリューション(BBR社製)は、1997年のクリスマス休暇でパリ市内の専門ショップを全て回り、その中の1軒だけで完全美品を1台発見し、奇跡的に入手できました。
このように、店頭を巡って過去の発売済み作品を収集する方法を、私は「売れ残り探し」と呼びます。情報が極端に少ない環境下では、かつてリリースされた作品を知り、さらに何処に在庫が残っているか突き止めるのは至難の業です。ひたすら足を使い、偶然を積み重ねていくしかありません。
アムステルダムから遠く離れたオランダ郊外の小さな町で、ショップにあった薄い専門誌の中に、とてつもなくカッコ良いC3コルベットを発見しました。グリーンウッド兄弟によるカスタマイズ車で、イタリア人マスター・モデラーのウゴ・ファディーニ(Ugo Fadini)氏が主宰するカルト・カーズ(Cult Cars)の作品です。彼の通常版C3コルベットは既に数種保有済みなのですが、新しくグリーンウッド・コルベットの“実物”を探す、ケーニッヒに続くもう一つの旅物語が始まりました。
こういうレア・モデルは元々生産量が少ない上に、一旦入手したマニアはそう簡単に手放しません。従って、市場に出回る数量は極端に限られます。道程の険しさは人気車種ケーニッヒ・コンペティションの時以上です。グリーンウッドを制覇したと思ったら、カルト・カーズの別年式C3コルベットの存在が明らかになり、歩みは止められませんでした。ここでも、最終手段として威力を発揮したのはネット・オークションです。
コレクションを深め広げていくほど、収集ラインナップの隙間を埋める難易度は急上昇します。もはや実店舗を巡って探す手法は通用しません。日本国内のヤフオクはもちろんですが、私は世界最大のオークション・サイト・イーベイ(eBay)も活用し始めました。欧州駐在中は、在庫の当ても無いまま1店舗訪ねるのに、車で往復2~6時間を費やしていましたが、インターネットなら自宅で、全世界のショップやマニアとつながって居られるのです。これぞ革命です。
日本で2000年の流行語大賞に輝いた“IT革命”(ITは後にICTとも)の真価は、孤立していた世界中のモデルカー・マニアを1つに結びつけたことです。それ以外は全く取るに足らない些末な事柄に過ぎません。ショップの通販サイトであれ、オークション・サイトであれ、個人の趣味サイトであれ、コレクター間のオンライン・ネットワーク構築こそが、趣味世界における正に世紀の大・情報革命だったのです。
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インターネットという最終兵器が手に入っても、それだけではコレクションを充実・継続させることはできません。特にモデルカーは、コレクターズ・アイテムの中で高額商品の部類に属しているため、何と言っても先立つ物が必要です。
モデルカー業界は歴史的にも数量的にも欧州メーカーが圧倒的で、また国内メーカーでも海外生産が多く、商品価格は為替の影響を強く受けます。レジン製モデルの雄・BBR社やダイカスト製モデルの雄・PMA社は、業界でいち早く生産を中国工場に移管し、低価格化に成功しました。しかし、2010年代から原材料費や中国物価などが高騰し、価格上昇が止まりません。収集における技術的環境の向上とは裏腹に、経済的環境は悪化の一途を辿っています。
夢の億万長者になったと仮定しましょう。すると人は趣味より道楽に走ります。10cm大のモデルカー1台に3万円費やし、膨大な労力と年月を掛けて1000台収集するより、カーディーラーを訪ねて3000万円のスーパーカーをポンと1台購入するでしょう。お金を払えば誰でもすぐ購入できます(例外あり)。自動車は本質的に実用工業製品であり、原則的に収集対象ではありません。台数は多く要らないものです。
コレクションの充実に資金は必要ですが、お金が有り余っていても、コレクションが充実するとは限りません。継続させられるだけの諸条件が整わねばなりません。相対的な価値観の中から収集対象を見出し、コレクターの独自性が発揮されるほど深く広く発展させ、自らが目指すレベルに到達するまで継続するためには、最低でも「感性」「情熱」「見識」「好奇心」「探究心」「情報力」「洞察力」「決断力」「実行力」「忍耐力」「資金力」、そして「人との良縁」という条件が求められます。
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モデルカー収集に習熟すると、その過程で情報収集能力も高まります。まずは専門ショップと友好関係を築き、新製品のリリース情報をいち早く入手するようになります。しかし、これは収集活動の一方向への働きしかしません。同等以上に重要な、逆向きのもう一方向があります。自分が追求しているコレクション・テーマに関し、過去にどういう作品が存在していたかを探る、アーカイヴ的な情報の入手です。
私はよく、「どんな名医も初めは研修医」という言葉を使います。コレクターも同じで、誰にでもコレクションの開始時期(出発点)があります。コレクターへの道程は、その時点から前後の時間軸を両方向へと旅することです。そうして初めて、自分のテーマを中心に据えた、モデルカー業界の全体像が露わになります。
全体像との対比によって、自分のコレクションの中に、欠けたパズルのピースがあることを発見します。それが、次のターゲットです。探す時間や費やす資金など、コレクターとして限りある資源をその欠落部分に一極集中し、作品間のミッシング・リンクをつなぎ、隙間を埋めるプロジェクトの発足です。
現行品の収集活動を継続しながらも、一定期間はその新プロジェクトに集中します。モデルカー・メーカーや車種によっては、比較的短期間でミッションを完了できます。中には、例示したケーニッヒ・コンペティションやグリーンウッド・コルベットなど、苦戦を強いられる作品テーマも存在します。
そこで頼りになるのが、インターネット・オークションです。世界中のモデルカー・コレクター達に向け、ターゲットを捕えられるように蜘蛛の巣(=web)を張り巡らすのです。検索キーワードを登録し、新しい出品があればEメールが届くよう設定し、毎日チェックしながら、5年・10年という長期スパンで待ち続けます。思い付きで短期決戦を仕掛けてくる“一見さん”とは、腹の据わり具合が違います。
じっくり腰を落ち着けて収集対象に向き合うことで、市場動向や他のコレクターの状況、ターゲット関連作品の露出頻度(レア度)など、自分にしか把握できない活きた情報が得られます。この時間と情熱の集積によって、洞察力や決断力が養成されます。そして、然るべき時が訪れれば、一気呵成にターゲットを仕留めます。
その昔、超珍しいコルベットのレジン製キットが、中米・エルサルバドル共和国のコレクターから出品されました。入札前にまず、日本に発送してくれるかどうかを確認します。次は支払方法です。エルサルバドルは国の事情により、ペイパル(後にイーベイが買収した電子送金システムPayPal)が許可されていません。調べた結果、他で一番合理的な送金方法は、ウエスタンユニオンだと判明しました。当時普及しておらず、国内の取扱いはわずか2~3銀行です。
いずれにしろ、送金が可能と判明したので、競合入札者を蹴散らして落札しました。そして、そのためだけに縁も所縁もない静岡県のスルガ銀行に口座を開設し、ウエスタンユニオンでエルサルバドルへと送金しました。何年か後の2008年、同行はウエスタンユニオンの取扱いを終了しています。
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私がロンドンで初めて1/43精密モデルカーを購入した時、実は自分の中ですでに核となる収集対象は決まっていました。なぜなら、約15年前のスーパーカー・ブーム時代、1/43国産ダイカスト製ミニカーでランボルギーニやフェラーリ等を少しだけ収集していた経験があったからです。
一方、正真正銘、生まれて初めて収集を開始する場合、最初の1台目は決められても、その後の方向性を決定するのは結構難しいものです。読書に例えれば、好きな作家やテーマを自覚する前に、自分の心を探りながら、好奇心のままに乱読する時期に似ています。少し収集期間が経っていくと、コレクションに自分の嗜好や関心が映し出されるようになり、無意識だったテーマを視覚的・客観的に認識できます。そして、勝負はここから始まります。
コレクションの充実、少なくとも1/43精密モデルカーの収集には、情熱を注ぐテーマの絞り込みが不可欠です。「情報」「時間」「資金」など、限りあるコレクター資源を効率良く集中させるためです。それらが分散されてしまうと、コレクションの芯が固まりません。1つのテーマに確固たる芯を作るから、テーマが複数に広がった時、芯と芯が連結して、全体として層の厚い深みのあるコレクションを形成できるのです。
オリンピックの水泳や陸上などの競技は、特定の運動内容に絞り込んで競うから、高レベルの世界記録が更新されていきます。十種競技やトライアスロン、体操の個人総合などでも、構成は独立競技の集合体で競われます。集団で競う球技でも、運動能力の特定部分を制約することで、その競技の独自性を際立てて、高いレベルで競わせる構造です。
モデルカー収集にもこの構造は適用できます。まず、特定のテーマに絞って徹底的に収集を究めます。すると、コレクターとしての見識が高まり、具体的な収集技能に習熟し、確固たる実践手法を体得できます。ある程度のレベルに達したら、別のテーマにその手法を水平展開し、同様に次のコレクションを究め、総合的な完成度を高めるのです。
例えるなら、水泳選手なら個人メドレーへの挑戦、体操選手なら個人総合への挑戦、陸上選手なら十種競技への挑戦といったところでしょうか。制約条件によって収集資源を一極集中し、注いだ「量」を「質」に転化し、到達した高い「質」を水平展開することで、自分ならではの“コレクション格”の実現に挑戦するのです。
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私が収集したコレクション、つまり世界モデルカー博物館の展示作品をご覧になって、その“コレクション格”を目の当たりにされたなら、私が四半世紀にわたり実践してきた“収集ルール”を、瞬時に感じ取っていただけるはずです。
2015年5月の開館時、1/43モデルカーの展示台数は約3700台ですが、諸事情から展示を保留している作品と、未組立のキットを加えれば、総収集台数は5~6千台(正確には未計数)に達しています。一部に例外を設けているものの、この質と量を可能にした制約条件は次の通りです。
ルール1. 縮尺は『1/43』スケールに限定
ルール2. 車種は『ロードカー・2ドア・クーペ』に限定
ルール3. 車体色はナショナル・カラーを優先
ルール4. 実車の生産国やブランドは問わない
ルール5. モデルカーの材質やメーカーは問わない
5つも挙げてはみましたが、要はルール2の“ロードカー・2ドア・クーペ”に限定したことが全てでしょう。元々、ガンディーニとジウジアーロがデザインしたスーパーカーやコンセプトカーから収集し始めたので、無意識のうちに実践していました。その後、雨の多い高知で生まれ育った私の、「屋根が無ければ車(4輪自動車)ではない」という持論を組み込み、明確な収集ルールとして意識するようになりました。
“クーペ”なので、屋根の無いスパイダーやコンバーチブルは収集対象外となります。このルールは、特にフェラーリやポルシェで功を奏しました。雨の少ないアメリカ・カリフォルニア州の市場を当て込み、フェラーリは必ずスパイダーをラインナップします。1車種でクーペとスパイダーの2台になるところを、購入対象をクーペ1台に絞り込め、浮いた資金を車種数の増大等へ振り分けることができました。
しかも、“2ドア・クーペ”なので、通常の乗用車に多い4ドア・セダン系の車種は、名車であっても収集対象から外せます。ただし、ドアの無い軽量スポーツカーや、イセッタなどの1ドア車、特殊な事情のマツダRX-8、系統を揃える上で必要と判断した4ドア車などは、2ドア・クーペでなくても例外的に収集しています。もちろん、コレクションのほんの一部分です。
“車体色”の制約ルールも効果的でした。例えば、ランボルギーニは創設時にレース活動を行っておらず、ナショナル・カラーの影響を受けていません。そのため、新製品は3~5色が横並びで発売されます。格安ダイカスト製品ならまだしも、高額レジン製モデルカーでは、そう易々と全色揃える資金的余裕はありません。そこで、車体色の制約です。
私の場合、ランボルギーニもフェラーリと同様、イタリアのナショナル・カラー(赤)を主軸に定めました。しかし、先の理由から赤色がラインナップされる保証はありません。その場合、ショップ特注の数量限定・赤色モデルが頼みの綱です。その上、アウディに買収されたランボルギーニは、ガヤルド辺りから白色ボディを強調し始めたため、白を押さえつつ特注の赤を追いかける、ダブル・スタンダード状態に陥りました。
“ロードカー”に限定するルールは、収集においてとてつもなく大きな恩恵をもたらしました。裏を返せば、“ゼッケン付きのレースカーを収集しない”というルールだからです。レースカー模型は、同一車種のほぼ同じ原型から、ゼッケンやスポンサー・ロゴを変えるだけで、別の商品に仕立ててしまいます。レースファンの購買意欲に応えつつ、製造上のコスト・パフォーマンス向上を狙った販売戦略です。
私自身がF1ファンであり、ル・マン・カーやグループC・カーなど生粋のレースカー・2ドア・クーペについても、その魅力を熟知しています。当然、欲しい方向に心が揺れ動くのですが、そんな時こそ“敢えて買わない”という制約ルールで自分の弱い心を戒め、業界の甘い誘惑に打ち勝つのです。
このように、制約ルールを駆使して上手に収集対象の“選択と集中”を行うことで、自分の思いに適った“コレクション格”を創り上げていくことができます。私の場合、1/43ロードカー・2ドア・クーペに制約したからこそ、生産国も実車ブランドも、モデルカー・メーカーも材質も問わず、広範な車種・製品のコレクションへと発展させることができました。
ちなみに、レースカーの収集においては、キットを購入してロードカー仕様かプレイン・カラー・ボディに仕立てる手法で、収集意欲とルール遵守の両立を図っています。キットの長所については、第6章・第4節の未組立キットをご覧ください。
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