Legendary Racing Miura & Replicas / 伝説的なレーシング・ミウラとそのレプリカ
Chapter 6 - Section 1 - Subsection 3
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第6章 第1節 第3項
1970年台後半のスーパーカーブームにあって、情緒的な感性を強烈に刺激する車種がランボルギーニ・イオタでした。外観の美しさはもちろん、数々の伝説的な物語性に彩られていたからです。物語の発端は、1人のテスト・ドライバーです。
イオタが紹介される時、王者フェラーリに対する挑戦者ランボルギーニの図式(対立は真実ではないらしい)、たった1台生産されたミウラのレース仕様車、さらに全損事故で今は亡き “幻の車”、レプリカですら世界に数台しか存在してないなど、他の車種には無い特別なエピソードが満載です。
しかし、SVJやSVRが当時から日本国内で保有されていたこともあり、欧米でのメディア露出は極めて少なく、私の欧州駐在中もイオタの知名度はほぼゼロでした。必然的にモデルカー化は、スケールや材質を問わず、圧倒的に日本市場が牽引しました。私も1/43モデルカー化に貢献した1人です。
世界モデルカー博物館では、イオタ(ミウラ版)を約40台展示しています。存在した実車の数より多いのが面白いですよね。特別仕様車としてのイオタ(J)の名は、ディアブロやアヴェンタドールなどにも継承されています。
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Gian Paolo Dallara
レース・メカニックを志してイタリアに渡ったニュージーランド出身のボブ・ウォレスは、創業間もなくのランボルギーニに入社(1964年)しテスト・ドライバーを務めていました。元々レーシングカーを造りたかった彼は、勤務時間外に行う条件でフェルッチオの許可を得て、ミウラを基にしたコンペティション・モデル(レース仕様車)のワンオフ製作に取り掛かります。
ミウラという車は、マルチェロ・ガンディーニが仕立てた優美なエクステリアとは裏腹に、ジャン・パオロ・ダラーラのエンジニアリングは正にレースカーそのものでした。ボブは開発ロードテストで、素性の良さを確信していたのです。しかし、「ミウラからの流用パーツは屋根だけ」と言われるくらい、あらゆるパーツをレース仕様に再設計し、独自製作しています。
上司パオロ・スタンツァーニの助けも得つつ、作業が許された勤務時間外で11箇月を費やし、1970年遂にランボルギーニ初のレースカー「ボブのクルマ」が完成しました。FIA(国際自動車連盟)の競技規定付則J項、そのプロトタイプ・クラス車両規則を満たしており、フェルッチオの許可さえあれば、すぐにでもサーキットで即戦力が発揮できる完成度でした。
膨大な費用を理由にレースを避けてきたフェルッチオですが、関連会社の思わぬ経営悪化で資金難に陥ります。そこで、活躍する場の無いレースカー「ボブのクルマ」を、顧客に高値で販売する決断を下します。その時、フェルッチオ自ら車名を「J」と名付けました。「イオタ(オリジナルJ)」の誕生です。イオタとは、ラテン文字「J」のスペイン語発音に由来します。
純粋なレースカーのイオタと市販ロードカーのミウラとでは、スタイリングこそ似ていますが、内部構造から細部まで大きく異なっています。外観上の大きな違いは、固定式ヘッドライト、左右のカナード、各排熱口、ボンネット手前の左右給油口、アルミ・ボディの破損防止用リベット、張り出したリアフェンダー、ホイール・デザインなどです。
3人目のオーナーの手に渡ったイオタは、1971年4月28日、ミラノの東に位置する小都市ブレシアの高速道路で、全損事故に見舞われ、無残な姿と化した夢の残骸は、フェルッチオの命で回収され、廃棄されました。この時ジャンは、レース活動を求めて既にデ・トマソへ移籍していましたが、ボブは次なるコンペティション・モデルの製作に着手していました。
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Patrick Mimran (1984–1987)
ボブが心血を注いで完成させたイオタ(オリジナルJ)の遺伝子は、ミウラの最終進化形であるミウラSV(スピント・ヴェローチェ=超越した速さ)に継承されました。同時に、コアなマニアからは「ミウラをベースにイオタ・レプリカを製作して欲しい」というオーダーが相次ぎ、ランボルギーニはSVJやSVRという、公式レプリカを約10台ほど製造しています。
イオタ・レプリカはほとんど全て、微妙に細部の仕様が異なっています。詳細は世界モデルカー博物館で確認して下さい。写真のモデルカーは、84~87年にランボルギーニ社オーナーだったパトリック・ミムラン自身が、シャーシNo.4088のミウラSから改造させたSVJです。作品は、実車のオレンジ・ボディを敢えてレッド・ボディでリリースした稀少な1台です。
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イオタSVRは、最も過激にモディファイされたイオタ・レプリカで、シャーシNo.3781の68年式ミウラP400Sをベースにした1台だけの名称です。ドイツ人オーナーがパフォーマンス向上を目的にランボルギーニへ改造を依頼しました。ワイドなメッシュ・タイプのBBS製ホイールは発注者自身の持ち込みで、その幅に合わせリア・フェンダーが大きく張り出しました。他にも、黒いチン・スポイラーやルーフ・ウィングが特徴です。
1975年に完成したSVRは、日本をスーパーカーブームが席巻した頃、実は日本国内に保有されており、オリジナルJが既に失われていたため、“本物”のイオタだと誤解されていたようでした。そのため、日本で最も有名な“イオタ”がSVRです。写真の1/43モデルカーはフロンティアート社の作品で、極めて完成度の高いフル開閉モデルもリリースされています。同社への私の助言で製品化が実現しました。
Personal View
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私的見解
イオタSVRは、私のスーパーカー趣味の原点です。70年代、フェラーリ(ピニンファリーナ)派とランボルギーニ(ガンディーニ)派に分けるなら私は後者でした。その上で、天を仰いだミウラのヘッドライトを真正面に据え直し、レースカーのようなモディフィケーションによって機能美と造形美を融合させたイオタSVRは、唯一無二の最上級スーパーカーだったのです。私の1/43イオタ・プロジェクトは、フロンティアート社のフル開閉モデルによって一旦完結しました。
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